ご訪問ありがとうございます。
えっちゃんです😊
えっちゃんの音楽体験を
語る上で
欠かせない人物の
お話をしたいと思います・・・!
「クインシー・ジョーンズ」!
この名前を聞いて
何が(誰が)一番先に浮かぶか、
年齢や年代によって
違うのかも知れません。
70年間
ジャズ・ポピュラー界の
「フィクサー」として
大活躍されました。
1933年生まれ。
1951年
バークリー音楽学校を卒業後
間もなく
トランペッター・アレンジャーとして
主にビッグバンド・ジャズ界を
泳ぎ始めます。
大好き!「Soul Bossa Nova 」
その後は映画音楽や
ポピュラーにも進出、
1981年「愛のコリーダ」も
とても印象的です。
この曲は原題も「Ai No Corrida」
大島渚監督の映画「愛のコリーダ」に由来し
つまりサビは日本語そのままなのです。
大島渚監督の映画「愛のコリーダ」に由来し
つまりサビは日本語そのままなのです。
そしてなんと言っても
1982年~1987年です。
マイケル・ジャクソンの
プロデューサーとして
名前を知る方も
多いのではないでしょうか。
1982年~1987年です。
マイケル・ジャクソンの
プロデューサーとして
名前を知る方も
多いのではないでしょうか。
オルガンはジャズ界の重鎮
ジミー・スミス!
ジミー・スミス!
しかしながら
えっちゃんが
クインシー・ジョーンズに
「射抜かれた」のは
このあと
1989年でした。
何気なく毎週視聴していた
音楽テレビ番組
「ミュージック・フェア」
そこに
クインシーと
サイーダ・ギャレットが
出演していました。
そこで
サイーダが歌っていた
この曲・・・!!
えっちゃんが
クインシー・ジョーンズに
「射抜かれた」のは
このあと
1989年でした。
何気なく毎週視聴していた
音楽テレビ番組
「ミュージック・フェア」
そこに
クインシーと
サイーダ・ギャレットが
出演していました。
そこで
サイーダが歌っていた
この曲・・・!!
「I Don't Go For That」!!
えっちゃん当時15歳。
ジャズを本格的に
聴き始めた頃でした。
おぼろげに感じていたのは
「ジャズ・ヴォーカルって
素晴らしいなぁ♡」
サラ・ヴォーンや
エラ・フィッツジェラルドは
英語が理解できなくとも
「心にクる」モノがあり、
当時は同時に
「ユーロビート・ブーム」が到来。
洋楽ポップス・ヴォーカルも
多く聴く機会があったものの
「ポップスって
言語が分からんと聴く意味ないよな」
と訝る
イヤなガキンチョでした(;▽;)
(英語の勉強すれば良かったのに・・・)
が!!
「I Don't Go For That」を
テレビで歌唱する
サイーダ・ギャレットに
心を奪われてしまいました。
「洋楽ポップス」を
好きになった初めての瞬間。
クインシーとサイーダは
「アルバムのプロモーション」の為に
出演していた事が判明し
そりゃ当然
そのアルバム聴くよね!!
なけなしのお小遣いで
ゲットしました。
なんと!
そのアルバムには
サイーダだけではなく
えっちゃんが愛聴していた
サラ・ヴォーンも
エラ・フィッツジェラルドも
各楽器の
ジャズ・レジェンドも
わんさかと
参加しているではありませんか!!
とにかくコレ聴いて・・・!
胸焼けするくらい
レジェンドが出てくるよ!(笑)
胸焼けするくらい
レジェンドが出てくるよ!(笑)
「射抜かれた」
サイーダ・ギャレットはもちろん
アルバム曲全て
素晴らし過ぎるアルバム!
えっちゃんにとっては
「ジャズの歴史を学び直す」と同時に
積極的に聴こうとしていなかった
「ポップスの現在」を知る
貴重な15歳の体験でした。
そして
35年経った今
改めて聴いても
「1980年代の音(アナログ・デジタル)」に
感涙しつつ
全く古びません・・・!
アルバム曲全て
素晴らし過ぎるアルバム!
えっちゃんにとっては
「ジャズの歴史を学び直す」と同時に
積極的に聴こうとしていなかった
「ポップスの現在」を知る
貴重な15歳の体験でした。
そして
35年経った今
改めて聴いても
「1980年代の音(アナログ・デジタル)」に
感涙しつつ
全く古びません・・・!
クインシーがプロデュースした
「We Are The World」
間違いなく
音楽全体の歴史に残る曲。
えっちゃんは中学生の時に
英語の授業で視聴したのが初見でした。
英語でも音楽でもどっちでもいいから
教育要項に入れたらいいと思う(笑)
「We Are The World」
間違いなく
音楽全体の歴史に残る曲。
えっちゃんは中学生の時に
英語の授業で視聴したのが初見でした。
英語でも音楽でもどっちでもいいから
教育要項に入れたらいいと思う(笑)
今年
2024年11月3日
91歳で亡くなられました。
長い時間を経て
ジャズ・ポピュラー界の
根幹を造った
「フィクサー」であったと
感じます。
そして
えっちゃんにとっても
偉大で大切な
音楽家でした。
豊かな音楽体験を
もたらしてくれた
クインシー・ジョーンズに
感謝を込めて・・・!
2024年11月3日
91歳で亡くなられました。
長い時間を経て
ジャズ・ポピュラー界の
根幹を造った
「フィクサー」であったと
感じます。
そして
えっちゃんにとっても
偉大で大切な
音楽家でした。
豊かな音楽体験を
もたらしてくれた
クインシー・ジョーンズに
感謝を込めて・・・!
今回のおさらい
色々調べていたら
クインシーは
「若い頃フランスで
ナディア・ブーランジェに学んだ」
と
件のミュージック・フェアで
語っていたそうで
とても驚きました。
コレを読んでいる若い方、
名前だけでも覚えておいて損はありません
ナディア・ブーランジェ
オルガンと音楽教育者としての
レジェンド・オブ・レジェンド。
クインシーは
「若い頃フランスで
ナディア・ブーランジェに学んだ」
と
件のミュージック・フェアで
語っていたそうで
とても驚きました。
コレを読んでいる若い方、
名前だけでも覚えておいて損はありません
ナディア・ブーランジェ
オルガンと音楽教育者としての
レジェンド・オブ・レジェンド。
では
またのちほど💗
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